風と雪

香川県のフリーランスjackerのブログです。

物語としての授業――トマシェフスキーのモデルを援用して

私の最近の家庭教師における授業の実践報告モドキをしたく思います。

 

授業の構成として有名なものは「導入―展開―まとめ」でしょう。

 それに類似したものとして、世阿弥の芸術論である「風姿花伝」では「序―破―急」という構成が有名です。

 

私が普段実践している授業の構成は、物語論のトマシェフスキーのモデルを援用したものです。

 

授業も、単なる「プレゼン」ではなく、ドラマ性を重視した「物語」であるべきだという信念を、私は最近抱いているため、彼のモデルを援用しています。

 

トマシェフスキーによると、物語の構成は以下のようなものになるようです。

 

・発端状況

・山場

・波乱

・緊張

・クライマックス

・結末

 

これを援用して、ある日の高校生(3年生)に対する英語の家庭教師の授業を紹介したいと思います。

 

授業の目標:

(1)本文の内容を理解する。

(2)本文の英語を再生できるようにする。

(3)本文から問いを創造する。

 

・発端状況(Introduction)

 何気ない雑談から、本日の学習題材へとつなげる。

 

・山場(文章の鑑賞)

 教科書本文の鑑賞を行います。この際、日本語訳(explicature)は先に配布しておき、言外の意味(implicature)を解説しながら、本文の深い読解を試みます。

 

・波乱(音読)

 教科書の内容理解(explitcatureとimplicatureの把握)が完了したら、教科書本文の音読を何度もこなします。単純なRepeat→Buzz Reading→Read & Look upを何度も繰り返して行い、教科書本文の自己再生を目指します。

 

・緊張(暗写)

 教科書の口頭による再生がある程度めどがついたらそれを「書ける」ようにします。教科書本文の音声を聞いて、それを暗記できるよう心がけます。そして、そのまま何も見ずに書けることを目指します。いわゆる「ディクトグロス」のもどきだと考えて頂ければわかりやすいと思います。

 

・クライマックス(問いの創造)

   最終的に教科書本文を自分の「もの」にしたら、本文における「問い」を発見させます。これは、将来自分で問いを創ることのできる学習者を育てることを目指して行っているクライマックス的な活動です。これまで生まれた問いには、「この英文の真の意味は何か?」といったものから、「この登場人物の性格は?」や「このスピーチはどこで行われているのか?」などの物語性を重視した問いまで、色々ありました。

 

・結末

 今回学んだことを教師と生徒の対話によって、ふりかえります。

 

個々で重要視しているのは、ゴールがあってそれに向かうという「仮説検証型」の授業ではなく、学んでいるうちに、問いを生徒に発見させる「課題探求型」の授業を心がけていることです。

 

およそ8年間教育の仕事をしてきて、たどりついた私の「授業の型」が以上のものです。まだまだドラマティックに展開できるような改良はできるでしょうが、概ね好評なので、今回ご紹介した次第であります。

 

参考文献:

志村宏 (2011) 『風姿花伝講談社学術文庫

ジャン=ミシェル・アダン 著、末松壽・佐藤正年 訳 (2004) 『物語論白水社

サルにはなりたくない。

かつて「さよなら人類」という曲がありました。

 

初めて聞いた時は、何をふざけているのか? と思いましたが、この曲は紛れもない「反戦ソング」でした。

 

長い歴史の中で、人類学者はアルカイックな地域を研究して、そこから浮かび上がるものを「人類」ととして記述しようとしてきました。

 

近年、その動きに批判がくわえられています。「人類は皆平等」という理念のもと、ポストコロニアル理論やカルチュラル・スタディーズなどの学問も生まれました。

 

www.youtube.com

我々はどこから来て、どこに向かおうとしているのでしょうか?

 

1つだけ確実なのは、カール・マルクスが言っていたように、人類は「類的存在」だということです。

 

私も最近、他者との交流を避ける生活を続けていましたが、「絆」や「友愛」を味わい、深めるために、行動しようと思いました。

ライターの仕事の紹介

私が運営に携わっているウェブサイトです。是非とも、お楽しみください。

 

ENTAMEDIA | 話題の芸能ゴシップエンタメ情報まとめサイト

 芸能人の紹介を行っているウェブサイトです。

 

彼女欲しいな.com

 恋愛指南に関するウェブサイトです。

良い演技者を創るには――平田オリザと関連性理論から考えたこと

1 序論:良い演技者とは、コンテクストが豊かな存在。

1.1 背景

良い演技者とはどんな存在なのだろうか。教育の文脈で「演技」の効用が謡われて久しいが、ただ単に教育の世界に「演技」を導入してもうまくはいかない。「演技」そのものについて考えることに意義がある。

 

1.2 これまでの研究:平田オリザの演技論

平田オリザによれば、良い演技者とは「コンテクスト」を豊かに持つ存在である。コンテクストとは従来の意味の「文脈」を超えて、人間の言語使用全般にかかわる複合的な概念である。

 

1.3 研究課題:コンテクスト概念のさらなる考察が必要である。

 

2 方法:コンテクスト概念を関連性理論に沿って考え直し、「良い演技者」について再考する。

 

3 結果:コンテクストとは、外の世界からの刺激に対して、顕在化できる想定の集合体のことである。


4 考察:良い演技者は豊かな想像力を持つ。

関連性理論によるコンテクストとは、刺激に対して自由に想定を顕在化できる力のことだった。例えば、いつも一緒にいる女性が今日はいつもと違う笑顔を見せていたとしよう。この「女性の笑顔」という刺激に対し、「元気がないな?」、「何かあったのだろうか」というように、次々に想定を広げていくことが、コンテクストの根源的な意味である。これはひとえに「想像力」と言い直すことが可能かもしれない。外の世界からの刺激に鋭敏に反応し(コミュニケーションであれば、他者からの顕在的刺激を間違いなく受け取り)、それに対して自身の経験などを踏まえて(認知環境を総動員し)、想像力を膨らませ、解釈していくことが、豊かなコンテクストを持つという意味である。

 

5 結論:「想定」のさらなる考察が必要。

良い演技者とは、外の刺激に対して様々な想定を顕在化できる、豊かな想像力を持つ存在のことである。

「想定」概念がまだ不明慮だが、ルーマンによる「意味」、「顕在的可能性」、「潜在的可能性」の概念が、これらをさらに明瞭的に描写できると考えられる。

 

参考文献:

井上ひさし平田オリザ (2003) 『話し言葉の日本語』小学館

平田オリザ (1998) 『演劇入門』講談社
平田オリザ (2012) 『分かり合えないことから』講談社
D. Sperber. & D. Wilson. 1995. Relevance: communication & cognition, Blackwell.

「作者の意図」に関する考察―村上春樹のインタビュー記事の語用論的解釈

1 序論:

1.1 背景

作家が表現するということはどういうことなのだろうか。作家は自分の意図したことを全て、自分の作品の中に託すことはできるのだろうか。

 

1.2 これまでの研究:語用論

「意味」には「意図された意味」と「表現された意味」がある。前者は発話や文章を生み出す人間の思考・感情内から生み出された意味であり、後者はその意図が世界に表出された際の独自の意味である。

 

1.3 研究課題:作家は自分の意図したことを全て作品の中にゆだねることはできるのだろうか?

 

2 方法:優れた作家のインタビューの分析

対象:村上春樹川上未映子

データ:川上未映子による村上春樹のインタビューをベースにした文章

 

3 結果:作家が意図したことを超えて作品は動き出す

村上春樹によれば、自身が意図したことの全てを作品内にゆだねることは不可能である。自身が意図したことを超えて、作品の読者が作品の「意味」を作り出すことは頻繁にある。むしろ、村上春樹は自身の作品について「こういう意図があったんですよ」などとメタ的な解説はしない。あくまで作品は読者によって「表現」されるものである。

 

4 考察:「表現された意味」の可能性を認めること

作家は自身の意図により作品をコントロールできると考えるのではなく、作品内における言語が持つ有機的な「表現された意味」の可能性を信じるべきである。物語=作家ではなく、物語=作家×読者のような視点から、作品を眺めるべきである。しかし、それを念頭に置いた創作をするのではなく、「自分の創り出す作品には、自分の想像を超えた可能性がある」ということを認めることから始めるべきではないか。

 

5 結論:「意味」概念の再検討の必要性

作品及び物語とは、作家の意図した範疇を超えた世界を生み出す。

作家は読者の解釈や鑑賞を、全面的に肯定的に認めることが肝要である。

今後は、「意味」概念への理論的探究が課題である。

 

参考文献:

川上未映子村上春樹 (2017) 『みみずくは黄昏に飛びたつ』新潮社

T. K. スン 著、輪島士郎・山口和彦 訳 (1989) 『文学のプラグマティクス』勁草書房 

善く生きること――ソクラテスから学べること

最近、これまで勉強していなかったソクラテスについて勉強を始めました。

 

ソクラテスは哲学の祖先的存在とも言われるように、「古い」のですが、彼が言っていたことは現代の世の中にもつながることがあることに気づきました。

 

私が注目している数学者の方も「ソクラテスに還れ」という趣旨のツイートをしていたところですので、ますます興味が湧きました。

 

今回、哲学の入門書を参考に、ソクラテスの思想を自分なりに味わってみました。想像と言ってもいいかもしれません。現代の世の中の視点からソクラテスを見つめるために、比較的新しい入門書を選びました。プラトンによる『ソクラテスの弁明』も読んだのですが、彼の時代の価値観を想像することはまず不可能なので、今回参考文献には入れていません。

 

私がソクラテスについて特に感銘を受けた点は(1)無知の知、(2)知への愛です。

 

(1)無知の知

ソクラテスについて一番有名なことばかもしれません。「自分は何も知らないことを知っているだけ、知っていると思いこんでいる輩よりは優れている」という趣旨のことばです。

 

これは一重に「謙虚に生きよ」ということでしょう。

 

しかしながら、ソクラテスソフィストたちを中心とした賢者へ質問を振りかける際、何の思想にも依拠しなかったのでしょうか?

 

もし依拠していたのであれば、ソクラテスはその「思想については『知っている』」あるいはその「思想については『信じている』」ことになります。

 

ソクラテスは一説によれば、自然の全ての現象を「否定」する立場にあったようです。

 

世の中は「肯定」することが中心によって出来上がっています。しかしながら、ソクラテスはその対概念である「否定」によって言動を行っていたようです。

 

「否定」についてはヘーゲルにもつながると思われるのですが、ヘーゲルについては私はソクラテス以上に無知なので、ここでは何も言いません(言えません)。

 

そのようなあらゆるバックボーンとなる「権力」を「否定」することによって、ソクラテス流の「善く生きる」ことにつながるのではないか、というのが私の愚見です。

 

世の中には自身の権力を増強させようとする者が多いのは周知の事実です。また、権力者に対して、大した思考もいれず批判することが自己目的化している者も多いと思います。

 

しかしながら、自身が本当に「無知」だと自覚しているのであれば、ソクラテス流の「質問法」しかできないのでははないでしょうか? 他者を「批判」することなどできないのではないでしょうか(「否定」と「批判」は似て非なる概念です)?

 

上記の内容自体、権力に媚びる人間への「批判」になっているため、私は彼/彼女らに「どういう気持ちですか?」と尋ねたい……という記録でとめておきます。

 

あらゆる権力を否定し、自身が何の権力にも依拠しない(できない)ということを実感することが、真の意味での「無知の知」すなわち「謙虚に生きる」ことなのかもしれません。それが、ソクラテス流の「善く生きる」ためのヒントになるのかもしれません。

 

(2)知への愛

(1)ともつながりますが、何かを知るためには「信じる」ことが必要になってきます(これは私にとって耳の痛い話になります)。

 

では「信じる」というのはどういうことなのでしょうか?

 

「信じる」の反対概念で真っ先に思い浮かぶのが「疑う」ということです。「疑う」とは、何かに対して矛盾を暴く行為でもあります。

 

では、信じるとは「矛盾」した状態を受け入れることではないのか、というのが私の愚見です。

 

人間は矛盾しながら生き続けます。それに対してやたらに「批判」を続けるのではなく、それを受け入れることが「信じる」ことではないでしょうか?

 

知識というのは、矛盾と隣り合わせです。たとえ話を変えると、まるっきり主張が変わるように、知識というのは案外もろいものだと思います。

 

知識を手に入れるには「批判的思考」が必要だという人もいますが、「信じる」ことによって、手に入る知もあるのではないでしょうか?

 

それを踏まえて、手に入れた知こそが本当の「知識」になるのではないか、と考えています。

 

上記の愚見をまとめると……

(1)あらゆる権力を否定し、自身が何も知らないということを実感し、「謙虚」になること。

(2)矛盾を受け入れ、「信じる」ことによって知を手に入れること。

の2つが「善く生きる」ためのヒントになるのではないか、というのが私の愚見です。

 

ソクラテス自身が権威とはかけ離れながらも、知と向き合う生き方を行った「生きる証拠」です。現代の世の中で、ソクラテスの生き方をそっくりそのまま再現することは不可能に近いと思われますが、彼から学べることは多いと思います。

 

参考文献:

木田元 編 (2003) 『哲学者偶像101』新書館

田中正人 (2015) 『哲学用語図鑑』プレジデント社

富増章成 (2016) 『哲学者図鑑』かんき出版

貫成人 (2001) 『図解雑学 哲学』ナツメ社

 

 

Two of us -- The Beatlesの物語

「今日はジョンの50回目の誕生日だ。だから、彼にささやかなお祝いをしてあげたかったんだ」

 

The Beatlesの中心メンバーとして活躍したポールとジョンだったが、彼らの歴史は「戦いの歴史」でもあった。

 

The Beatles解散直前、ジョンは妻のヨーコを頻繁にスタジオに連れてきていた。時には彼女に歌わせることもあった。

 

THE BEATLES - LET IT BE 1970 - YouTube

 

スタジオに女を入れることを禁じるルールを作っていた他のメンバーは激怒した。

 

ポールはメンバーの鎖を解こうと必死だった。しかし、悲しきかな、The Beatlesは解散へと追い込まれる。

 

Golden Slumbers / Carry That Weight / The End - YouTube

 

しばらく、ポールは歌うことを辞めた。ベッドから動けなくなり、食事をとることも、ひげをそることも辞めた。

 

ポールの感情は怒りへと変わっていく。彼は、自身の曲の中に他のメンバーへの怒りを込めて歌うことを始めた。

 

これに敏感に反応したのは、ジョンだった。ジョンも自身の曲の中で、ポールへの怒りを激しくぶつけた。それは、ポールよりも直接的で、ストレートなものだった。

 

何、目を開けたまま眠っているんだ? お前のYesterdayはもうAnother Dayだ!

How Do You Sleep? (original album) / John Lennon - YouTube

 

しばらくして、ジョンは表舞台から去ることになった。平和活動も辞め、目立った動きを見せなくなった。

 

ある日、ポールがジョンの住むマンションを訪れた。

 

「過去の亡霊か?」

「『あいつら』の1人だな?」

ジョンはポールを遠ざける。

 

しかし、かつて親友であり戦友であった2人の間には、他者にはわかりえない絆があった。2人は再び、同じ道を歩もうとしていた。

 

その夜、テレビから呼びかける声があった。

「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ……再び集まったら、1億ドルを渡す。さあ、どうする?」

挑発的な言葉だった。

 

ジョンは言う。

「やろう!」

 

ポールは外の車にギターを取りに行く。

 

ポールが戻ってくると、ジョンが元気なく電話をしていた。

「ヨーコ、お前に逢いたい。お前が俺の存在を保たせてくれる……」

 

The Beatlesの再結成は幻と消えた。

 

数年後、ジョンはポールに宛てたと思われる曲を書いた。

 

メリーゴーランドからはもう降りた。後は勝手に回ってくれ。

John Lennon - Watching The Wheels - YouTube

 

後年、ジョンはこんなことを言っていたという。

「俺は人生で最高の選択を2回した。1回目はヨーコ。2回目はポールだ」

 

1980年12月8日、ポールに一報が届いた。

「ジョンが死んだ」

「薬か?」

「いや、殺された……」

 

しばらく、ポールは音楽の力を失った。

 

「今日はジョンの50回目の誕生日だ。だから、彼にささやかなお祝いをしてあげたかったんだ」

 

John Lennon Medley - PAUL McCARTNEY - YouTube

 

生き残ったポールは今でもジョンのことを語り継ぐ。

 

Paul McCartney - A Day In The Life\Give Peace A Chance Live at Anfield, Liverpool 1st June - YouTube

 

「『僕ら』の2人」として。

 

The Beatles - Two Of Us - Get Back sessions - YouTube

 

参考文献:

Tony Barrow. 2005. John, Paul, George, Ringo & Me. Thunder's Mouth Press.

英語学習に便利なウェブサイト

英語学習に便利なウェブサイトをまとめてみました。是非ともご参照下さい。

 

NHK高校講座 | ベーシック英語

中学校の英語から復習したい人におすすめです。

 

NHKゴガク

ボキャブライダー on TV | NHKゴガク

簡単な英単語から学びたい人におすすめです。

 

Top Stories - News - NHK WORLD - English

NHKニュースの国際版のウェブサイトです。リスニング力の養成におすすめです。

 

英文法道場

本格的に大学入試の英文法について学びたい人におすすめです。

 

Fun Free English Video Lessons | JouZu English

英語使用について学びたい人におすすめです。

 

※この記事は随時更新されます。

 

進研ゼミ高校講座の大学検索サイト

大学進学を考えている人で、まだ志望校が決まっていない人もおられるかと思います。以下のウェブサイトは、簡単かつ詳細に大学について検索できるので、是非ともご活用いただけましたら幸いです。

 

kou.benesse.co.jp

生徒のこころを育てる--『贈与論』を読んで考えたこと

1.はじめに

 教育の世界に経済・経営の論理が拡大しています。特に英語教育の世界では、この傾向が強まっています。生徒は顧客で、教育はサービス業であるという理念です。しかしながら、教育とは本来、「人間を育てる」という営みであり、「財を作り出す」ことが目的の経済・経営と必ずしも論理が適合できるとは限りません。「金儲けができる人材」を育成することが、必ずしも教育の目的ではないということです。今回の駄文では、マルセス・モースの『贈与論』を手掛かりとして、優れた英語教師は何を生徒に<教育>するのか、何を<育てる>のかについて考えたいと思います。

 

2.贈与論

 アルカイックな地域を研究することによって、人間の根幹部分には「贈与」が働いていることが分かりました。「贈与」とは、贈り物を与え、それにお返しをすることによって、贈り物を交換することです。これは自然経済や功利主義的経済によって発展した「商品の売買」という形態よりは古代的であるかもしれませんが、そのような営みは現代の世の中にも引き継がれています。例えば、結婚指輪という物は、それを贈る人が結婚の申し出という「贈り物」を与えることであり、与えられた人は結婚の申し出に応えるという「お返し」をすることを成立させます。贈与という行為は、法的、経済的であるだけでなく、「宗教的」な営みであるとされています。アルカイックな地域では、「贈与」という行為に霊的な意味付けが行われており、単に商品を交換するという営みを超越したものである、とされています。

 

3.問い

 英語教育の世界で「贈与」を展開するにはどうすればよいのでしょうか?

 

4.結果

 優れた英語教師は「こころ」を生徒に贈り、生徒は「こころ」でお返しをします。

 

5.考察

 今回参考にしたのは、DVD『プロフェッショナル 仕事の流儀--中学英語教師 田尻悟郎の仕事』です。このDVDには、公立中学で英語教師を務めていた時代の田尻悟郎先生のライフヒストリーや授業の光景などが収録されています。田尻悟郎先生は、自身の「ターニングポイント」となる生徒とのコミュニケーションまでは、ひたすら「知識や技能」の贈与を目指していたように思えます。生徒に板書した英文を明日までに覚えるように強要するなどは、英語という「知識」を贈り、それに対するお返しを生徒から期待していたように思えます。また、田尻悟郎先生は、担当していた野球部の部員に対し、「まるで軍隊のようだ」と噂される「技能」を贈り、それに対するお返しを部員から期待していたように思えます。しかしながら、田尻悟郎先生は野球部の生徒に「頑張ってきたのは、先生への恨みでした」という発言を受け、自身のそれまでの教育観-いわば「贈与」に関する考え方-を改めます。そして、あるALTとの出会いにより、「授業はエンターテイメント」という発想に転換します。ここから、田尻悟郎先生は「精神」の贈与に転換したと分析できます。英語が苦手な生徒に対して、授業の中で個人指導を行うことは、「知識」を贈るというよりも、そこから生徒のやる気を引き出す仕掛けを目指していたように思えます。また、リーダー役の生徒が独りよがりな態度を持っていたことに対し、自分が実際に他の友人に行っている「行為」と類似した「行為」を田尻悟郎先生が見せることによって、そのときの「感情」を味合わせます。これらは田尻悟郎先生がそれまでの人生(教員生活のみならず、あらゆる生活の場面において)で培ってきた「精神」を凝縮させ、生徒に「贈り物」として届けようという指導を行っていたという風に解釈ができます。「精神」とは複合的な概念ですが、「こころ」と置き換えても良いでしょう。田尻悟郎先生の内面にある「こころ」から出てきた精神的な行為により、生徒の行為に影響し、生徒の精神の変容を引き出したというように考えることができると思います。従来、「行為」に焦点が活きがちだった心理学研究に対し、行為の背景にある「こころ」まで視野を広げる必要があるように考えられます。

 

6.結論

 この駄文では、ある優れた英語教師が自身の「こころ」を贈り、生徒が「こころの変容」というお返しをしたという「贈与」関係が認められるという結論に至りました。もちろん、現実問題として、知識や技能は重視されなければいけませんが、教育の目的は何もそれだけでなく、「こころを育てる」というような「人間的」な要因も忘れてはいけないと思います。こころの贈与のためには、まずもって(英語)教師が豊かなこころを持っていなければならず、それは情や教養、経験などによって培われるものであると考えられます。(英語)教師は自身の英語の学力を鍛えるのみならず、そのような自身の「人生経験」を豊かにする必要があるという文で、この駄文は締めくくらせて頂きたいと思います。

 

参考文献:

田尻悟郎、茂木健一郎住吉美紀 出演 (2007) 『プロフェッショナル仕事の流儀--中学英語教師 田尻悟郎の仕事』NHKエンタープライズ

マルセス・モース 著、森山工 訳 (2014) 『贈与論』岩波文庫