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平和にのんびり英語教育

香川県のフリーランスjackerのブログです。

「意味」について

研究

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

 

私事で恐縮ですが、本年2017年は様々な占いによれば、「2008年頃から始めた努力の結果が出る年」らしいです。

 

2008年と言えば、私が病気と闘いながら、卒業研究を進めた年でした。

 

単純な私は、それを真に受けて、今年を「研究の整理の年」と定めることにしました。

 

そこで、大学の卒業研究以来、ずっと関心を持っていた「異文化理解」について研究を暫定的にまとめるのが、今年の目標です。

 

さて、私は2014年頃からルーマンを読み始めましたが、衆目知るところのように、単純に難しいと思っていたのですが、ルーマンはポイントを押さえれば、非常にわかりやすいことを言っているということに、去年気づきました。

 

また、私の脳の構造上、抽象的なものとシステマティックなものは受け入れやすいということにも気づきましたので、正月休みを利用して、ルーマンの勉強を再開することにしました。

 

そこで、ルーマンの「意味」や「ゼマンティク」の概念が、異文化理解を考える際に、非常に有益だとわかりましたので、今回はルーマンの「意味」や「ゼマンティク」について学んだことをまとめたいと思います。

 

私なりの理解(誤解)ですので、ご興味のある方は是非ともご自身でルーマンに関する著作をお読みください(『ルーマンの社会システム理論』は「比較的」読みやすい入門書でした)。

 

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ルーマンによれば、「意味」とは簡単に言えば、「現実と潜在的可能性をつなぐ架け橋」のことです。意味によって、現実からある可能性へと「志向」され、選択を強制します。

 

分かりにくいと思うので、具体例で示します。例えば、付き合っている彼女がいるとします。その彼女が家に帰ってきたとき、いつもと様子が違うことに気づきます。笑顔にハリがなく、声のトーンもいつもと違う…など、この彼氏は彼女という現実に「意味付け」を行ったとされます。それは、彼女の様子という現実に、「いつもと様子が違う」という可能性を結び付けたということです。

 

さらに、彼氏は「何かあったのかな?」と想像します。このように、意味は現実と可能性を結び付け、さらなる選択を強制するのです。もちろん、別の想像を働かせることもできるでしょう。仮に彼氏が鈍感な人ならば、いつもの様子と異なることに気づかないかもしれません。このときは、先ほどとは別の意味を結び付けたということになります。

 

では、この「意味」はどのようにもたらされるのでしょうか?その意味に方向づけを与えるのが「文化」であり、それがコミュニケーションにおいて使用される際、「ゼマンティク」と名付けられます。

 

「文化」というのは「日本文化」のような静態的な概念として捉えることも可能ですが、ある程度の一貫性はあるものの、随時更新される動態的な概念として捉えることが大切です。

 

また、「日本文化」という考え方は、文化がこの世に存在するという考え方で、「文化本質主義」と言われます。一方、人間には見えないものの、人間を形成するために重要な役割を果たす意味では、文化は「文化構築主義」と言われます。

 

市井の「文化」概念は前者の文化本質主義が一般的でしょうが、後者の文化構築主義のような批判的な考察も必要とされます(詳しくは拙著『教師に向けた「輝く英語教育を夢見て」』などをご参照ください)。

 

 

その文化がコミュニケーションの過程で使用されるようになるとゼマンティクとなります。これは古くから活用されている「知恵」という言い方もできるでしょうし、単純に「知識」という言い方でも良いと思います。

 

そうして意味のストックであるゼマンティクから可能性を選択しながら、我々はコミュニケーションを行うわけです。この際、その可能性は「意味」という形で現れます。

 

ここで強引に異文化理解に当てはめるとすると、「異文化を理解する」というのは、そもそも可能なことかと言われると、首をかしげざるを得ません。

 

そうではなく、自身の活用できるゼマンティクを成長させていくことこそが、異文化理解ではないでしょうか?

 

他者とのコミュニケーションにおける、あらゆる「可能性」に目をやることができ、意味付けを行えること…これこそが異文化理解ではないでしょうか?

 

そうなってくると、異文化理解と他者理解はさらに接近したものとして捉える必要が出てきます(レヴィナスも読んだ方がいいかもしれません)。

 

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私なりの解釈を付け加えましたが、異文化理解、ならびに異文化理解教育とは、「他者への思いやり」や「思いやり教育」のように思えてなりません。異文化理解が「上手」な人は、他者理解も「上手」でしょう。

 

そう考えると、異文化理解教育とは、「生きる力」を身に着けるために、さらに重視されるべき事象なのかもしれません。

 

参考文献

ルーマン著、佐藤勉訳 (1993)『社会システム理論(上)』恒星社厚生閣

ルーマン著、徳安彰訳 (2011)『社会構造とゼマンティク(1)』法政大学出版局

ルーマン著、土方透・大澤善信訳 (2016) 『自己言及性について』筑摩書房