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平和にのんびり英語教育

香川県の教育フリーランスjackerのブログです。

組織について-『マネジメント』と複雑系から考えたこと-

人間は成長すると、組織の中に属することがほとんどです。現在、多様な生き方が認められるようになってきましたが、それでも組織の中で生きることが前提となっています。組織論については、ドラッカーの『マネジメント』が有名であり、私も遅ればせながら読了しましたが、読中、違和感を抱きつつけていました。私が持った『マネジメント』に対する違和感は以下の通りです。

 

・人間を機械的に扱っている

・人間の持つ相互作用性を無視している

 

これら2つは相互に連動するものです。まず、人間は感情を持った動物であり、機械ではありません。人間には創造性という武器があり、機械にはこの能力が(現在のところ)ありません。『マネジメント』におけるこのような「繊細さ」を無視した議論は有効ではないと感じました。人間を一律に「管理」するのは、そもそも可能なのかと思わされます。

 

もちろん、思考の内側で、人間を完全に描写するのはほとんど不可能です。人間理解について考える際、機械のような記述になるのは仕方ない部分はあります。しかし、『マネジメント』にはそのような譲歩に関する記述はなく、単純に機械的なモデルに依拠しすぎているように読み取れます。

 

次に、人間は相互作用をしながら生きていきます。組織で考えても、上司に対して、反旗を翻す部下も当然いるわけです。『マネジメント』ではこの点がほとんど考慮に入れられていないように感じました。人間は相互作用しながら、お互いに影響を受け与えながら生きていくものです。

 

以上のポイントは科学的管理法と呼ばれる『マネジメント』の持つ限界点なのかもしれません。これらのポイントを乗り越えるために「複雑系」の議論が有益だと思いました。

 

複雑系では、人間と人間の相互作用による「多様性」が重視されており、組織の複雑性や複合性をより適切に描写できると感じました。

 

複雑系では、人間の個体群を1つ以上の塊から捉え、それを「システム」と呼んでいます。

 

このような「システム性」が組織を描写するうえで重要な要因ではないでしょうか?

 

人間は個体で存在しているものの、個体のみで存在「意義」をもたらすかと言われれば、首をかしげざるを得ません。

 

カール・マルクスも言っていたように、人間は類的な存在であり、社会的な活動をベースにしなければ、人間らしいとは言えないのかもしれません。

 

人間を(いかなる単位であろうと)集団的なシステムとみなし、その間における齟齬や矛盾をも取り入れた「組織論」が必要ではないかと考えました。

 

もちろん、組織に対して、そういった「反発」ばかりを重視すると、それはほとんど無政府主義(アナーキー)の思想に近くなり、組織の均衡はもたらされません。

 

齟齬や矛盾を前提としながら、自らのシステムを洗練させていくのが組織という大きなシステムの役割ではないでしょうか?

 

そうすると、組織人に必要なのは、凡庸な表現になりますが、組織の洗練のための資源を作り出すことに他ならないでしょう。

 

ただ単に上司の愚痴を言うだけでなく、組織全体をよくするために自分に何ができるのかを少しずつ考えるのが、組織の中で生きるための最大の意義なのかもしれません(もちろん、それを困難あるいは不可能にさせる独裁的な管理が横行しているのも事実です)。

 

私はフリーランスという立場で生きていますが、組織が社会にもたらす影響を考えれば、組織についてのメタ認識が必要だと思い、今回のような駄文を書き連ねました。

 

参考文献:

P.F.ドラッカー著、上田惇生編訳 (2001) 『マネジメント 基本と原則』ダイヤモンド社

ロバート・アクセルロッド、マイケル D.コーエン 著、高木晴夫 監訳、寺野隆雄 訳 (2003) 『複雑系組織論』ダイヤモンド社