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平和にのんびり英語教育

香川県の教育フリーランスjackerのブログです。

情報と知識-物語というプロセス-

最近、「情報」と「知識」を弁別して考える必要があると考えるようになりました。生徒に指導する際、これらを区分けしないと上手くいかないと思うようになったからです。

 

情報とは、乱暴に言えば、事実の集合体のことです。言語を中心とした情報は世の中に恐ろしいほど数多く溢れています。

 

しかし、それはあくまで「情報」であり、これを「知識」にする必要があります。

 

情報を情報のまま、人間の頭に取り入れても、それは実際に活用することはできません。

 

情報を自分の実感の込めた知識にすることによって、人間は新たな行動をすることができます。

 

ではどうやって情報を知識に変えることが可能になるのでしょうか?

 

ここからは関連性理論やルーマンの理論に依拠した愚見ですので、私は文章に責任は持ちますが、オリジナリティを名乗る資格はありません。

 

知識の生み出し方ですが、過去の情報と新たな情報を組み合わせることにより、知識になるというのが私の意見です。

 

その際、情報と情報をつなぐ役割を果たすのが「感情」だと思われます。

 

ある情報を手にしても、それに「感動」しなければ、頭に残らないのではないでしょうか? この「頭に残る」というのは、必ずしも精度を保ったままの想起は前提とはしていません。ふとした瞬間に頭によぎる「想起」も考慮しています。

 

世の中には「パクリ」が溢れていると言われますが、完全に0から生み出した知識とは果たして存在するのでしょうか?

 

人は誰しも、何かに依拠しながら発想を行うものです。

 

ですので、0から生み出す知識という言語使用はそもそも適切ではないのかもしれません。

 

少なくとも0.00……1以上は既存している情報に新たな感動をもってして、「アイディア」も「知識」も生まれるのではないでしょうか?

 

以上が私の「知識」に対する愚見です。この「知識」を習得するために、人間は「物語」を必要とするというのが私の結論です。

 

「物語」とは必ずしも文学作品である必要はありません。自身にとって感動できる状態に保たれた情報は全て「物語」の原型をとどめていると思います。

 

情報を感動をもってして知識に変えるプロセスそのものが「物語」というのではないかというのが私の意見です。

 

好きなアーティストの歌詞に共感するのも「物語」を通じて新たな「知識」を手にした瞬間でしょうし、美術作品にふと目を奪われるのも「物語」という過程による「知識」の習得の瞬間だと思っています。

 

そう考えると、人間は成長するためには新聞も本もインターネットも、単なる媒体に過ぎず、本当に必要なのは「物語」ではないでしょうか?

 

情報を知識に変える物語……つまり感動するために何より重要なのは「感性」なのかもしれません。

 

参考文献:

ルーマン 著、佐藤勉 訳 (1993)『社会システム理論(上)』 恒星社厚生閣

Wilson. & Sperber. 2012. Meaning and Relevance, Cambridge.