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平和にのんびり英語教育

香川県の教育フリーランスjackerのブログです。

どうして勉強するの?

皆さんは以下の問いかけにどう答えるでしょうか?

 

「どうして勉強しなければならないのか?」

 

まず、私の愚見を述べますと、上の問いの立て方は間違っていると思います。「勉強『しなければならない』」というのは他からの強制を前提としており、自ら「勉強する」という命題を否定していることになるからです。

 

ですので、問いを「どうして勉強するの?」に変えたいと思います。

 

では、どうして我々は勉強するのでしょうか?

 

今回は、私自身と私と関係のある大人を振り返り、それらを「反面教師」として見立てることにより、逆のベクトルを目指すという思考法のもと、妄想したことをベースにしています。

 

また、この問いに対する絶対的な答えはありません。絶対的な答えと言ってしまっている以上、その存在がなくてはおかしいでしょうが、「絶対的な答えの代替案の1つ」ととらえて頂ければ幸いです。

 

私の思う「どうして勉強するの?」の「答えの代替案」は以下のものです。

 

自分自身を知るため

 

なんだ? よく聞くことじゃないか? と思われるかもしれません。しかし、私なりの答えは単に「自分の世界についての知識をインプットする」ことではありません。

 

世の中には、自分が強いと思い込んでいる大人が多いです。そういう人は自分が正しいと思い込み、周りをコントロールしようとするものです(そういう人が権力を握ってしまうと、あのヒトラーのような「存在」になってしまうかもしれません)。

 

私が目標とするのはその逆のベクトルです。

 

すなわち、「自分の弱さを知る」ということです。

 

先にあげた「勉強観(?)」は自分を大きくしていくことです。

 

私は逆に自分を小さくしていくことこそが「学び」あるいは「勉強」だと思います。

 

学べば学ぶほど、自分の弱さを知り、自分を小さくしていき、謙虚になっていく……

 

そうして自分はこの世界に生まれた小さな小さな存在であることを実感することが、私の思う「学び」あるいは「勉強」です。

 

そして、「もっと世界のことを知りたい」と思う「好奇心」を持てることが「学び」あるいは「勉強」だと思っています。

 

私の知人なら知っての通り、私は身体的にも精神的にも生理的にもかなり弱い人間です。だからこそ、こういう発想を好んでいるのかもしれません。自己正当化の部分もあるでしょうが、1つのアイディアとして参照頂けましたら幸いです。

 

世の中は「強さ」をベースにして語られることが多いですが、それとは逆の「弱さ」を基に、もっと世界が語られてもいいのではないか? というのが私の意見でした。

 

自分の弱さを認め、他者の弱さをも認められる「人間」になりたいと願っています。

 

参考文献:

和泉敏之 (2016) 『教師に向けた「輝く英語教育を夢見て」』日本橋出版

和泉敏之 (2017) 『中学生のための生きる力を養う勉強法』日本橋出版