平和にのんびり英語教育

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世界とつながることー『できない理由は、その頑張りと努力にあった』を読んで考えたこと

購入してから所用で読んでいなかった『できない理由は、その頑張りと努力にあった』を読了しました(自分の勉強不足と怠惰な生き方にほとほと嫌気がさします)。

 

甲野善紀先生のことは、2009年に私は知りましたが、私が軽視していた「からだ」の重要性を深い次元で教えてくださる方として、注目していました。その後、『数学する身体』などを読んで、その著者である森田真生先生なども甲野善紀先生のことを「師」として捉えていることを知り、ますます興味がわいていました。

 

私は幼少期から運動音痴ですし、身体論をはじめとした「からだに対する探求」についてはほとんど知りません。今回私が書く駄文は、その素人的な考えによって、この本を自分なりに解釈してみた結果です。私の過大なる誤解が入っていますので、ご興味のある方は、どうぞご自身でこの本をお読みください。

 

私がこの本を読んで、特に感銘を受けたのは以下の5つの点です。

 

・人は他人に押しつけられたものには反発する

・師は弟子に新しい世界を見せる

・コントロールしようとすることの愚

・本気になって追求すれば、素晴らしい世界を体験できる

・語りを引き出すこと

 

・人は他人に押しつけられたものには反発する

 

これは特に教育と関係のあることだと思うのですが、何かを学ぶ人はそれを押し付けだと考えると反発するということです。嫌々ながら強制的に「させられた」ことを「勉強」しても、学習者は深く「学んだ」ことにならないのではないか、というのは、教育の仕事を一応やっている私にも経験があることです。

 

ですので、「師匠」というのは「弟子」に興味を持たせることが重要だということです。興味を持って、自発的にある対象について向かっていこうという意識を生み出せなければ教育は教育として機能していないのではないか、という指摘はその通りだと思います。

 

このとき、どのようなことを「興味」だといえるのかですが、それは「問題意識を抱く」ことではないでしょうか?

 

ある対象に対する「知識」をインプットするだけでなく、その対象について自分なりの疑問を持つことが重要ではないかと思わされます(甲野先生は「違和感」を持つことが重要だとも言っていました)。

 

・師は弟子に新しい世界を見せる

 

ではそのような「態度」を弟子に持たせるにはどうすれば良いのでしょうか? それは師は弟子に「このような世界もあるのか」ということを見せることです。弟子は自分たちの世界では解決できない問題を師の中に見出します。それにより、師と弟子に「探究心」が生まれます。

 

このとき、師と弟子は同じ問題に向かって探求を始めます。決してgoalにたどり着くことのない問題に対して、師と弟子は向かっていくわけです。

 

師は同じ方向を向きながら、弟子の成長を見守ります。学習者をコントロールしようとする(洗脳)傾向が強い教育関係者には耳の痛い話ではないでしょうか?

 

・コントロールしようとすることの愚

 

それは師弟関係のみならず、一般的な人間関係でも当てはまります。他者をコントロールしようとしても、他者はそれに気づき、距離をとられていきます。

 

他者は自己が永久にたどり着くことのない「他者」として捉える必要性はレヴィナスも指摘する通りです。

 

しかし、これは自己にも当てはまるのではないかと考えました。自分をコントロールしようとしても、自分に裏切られる体験は案外多いものです。

 

まず私たちは自分たちへのコントロール欲を弱め、自分は永久に操れないものなのだと認識することから始める必要がありそうです。

 

そして、他者も、自分ではコントロールできない「存在」として認識することが、本当の「リスペクト」ではないでしょうか?

 

・本気になって追求すれば、素晴らしい世界を体験できる

 

自己が自己のもとから離れた存在であるため、私たちは何とか自分自身を保とうとします。そして、自分自身を保つため、興味は外の世界に向かっていくのかもしれません。

 

そうした自己とつながった「他者」に、自己は同化し、「追求」を始めます。しかし、甲野先生も言うとおり、「思い描いた夢は必ず叶う」ほど世界は単純ではないということです。

 

自己とつながった「他者」を私たちは「獲得」しようとします。しかし、「他者」は先述したとおり、自己のコントロールには及ばない「存在」です。

 

このとき、「他者」は自己とつながった状態ですので、自己は他者を獲得できないときに、自分自身を否定されたという意識を強く持つことになるでしょう。

 

しかし、そのように1つの「道」を追求した結果、見えてくるものは必ずあるはずです。「自己が求める世界」は獲得できないかもしれませんが、自己は求めていた「他者」とつながった状態の別世界を体験できます。

 

ある特定の「他者」に向けられていたつながりを、さまざまな事象につなげていく状態が生まれるというべきでしょうか(「1人の人間のことを深く考えていれば、人は世界のことを考えざるを得なくなる」というのはよく聞くことです)?

 

ですので、私たちは「願い続ければ必ず叶う」という精神論に振り回されず、「自己が世界とつながる」体験を願っていくべきではないでしょうか?

 

そうすれば、自己は他には代替されない「個」になれるのではないでしょうか?

 

・語りを引き出すこと

 

最後に、この本の本筋からは離れるのですが、この本のスタイルとして、語り手の甲野善紀先生の語りを、聞き手の平尾文さんが聞き取るという形式になっています。

 

相手の語りを引き出すことの難しさは、教育の仕事にかろうじてつながっている自分には特に感じられることです。この本の中のテンポのよさが伝わってくる甲野先生と平尾さんの語りと聞き取りから感じたことがありました。

 

それは、聞き手は語り手に新しい意味を発見させるということです。

 

聞き手は疑問の解決のために語り手の語りを引き出すのはもちろん前提として大切なことです。しかしそれを超えた、語り手にも新しい意味を発掘させることができるのが大切ではないかと感じました。

 

私は心理カウンセリングについて少しかじったことがありますが、私が尊敬する河合隼雄さんも同様のことを語っており、それを思い出しました。

 

以上が私がこの本を読んで、自分に当てはめてみて解釈したことです。久しぶりに深い読書ができました。このような世界を見せていただけた甲野先生と平尾さんに感謝いたします。

 

参考文献:

甲野善紀・平尾文 (2016) 『できない理由は、その頑張りと努力にあった』PHP研究所