風と雪

香川県のフリーランスjackerのブログです。

副担任 加藤美緒

先日、ある新聞社の小説一般公募に応募し、ボツになった原稿です。この原稿も世に出してくれないと成仏できないと言ってくるような気がしているので、ここに載せます。

 

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 私の名前は加藤美緒。この春に地元の教育学部を卒業し、新米英語教師になったばかりだ。幼い頃から教師になりたいと思っていて、採用試験に合格した日は涙があふれた。しかし、私が赴任したのは、地元の荒れた公立の中学だ。この荒れた中学で一番荒れている学級3年7組の副担任をすることになった。「若い女性の教師はなめられますから、覚悟をしてやってください」赴任した日に山田教頭に言われた言葉がこれだ。私には希望があった。自分がどれだけ通用するのか見極めたいと思っていた。

 しかし、その希望は時間が流れるにつれ、絶望へと姿を変えていく。副担任をしている学級の生徒からは呼び捨てで「加藤」と呼ばれ、私の言うことは全く聞こうとしない。担任は体育科の合田先生。柔道部の強面の男性教員で、どの生徒からも恐れられている。私が副担任をしている学級の生徒からも特に恐れられていた。合田先生は学級では独裁者のように振舞っていた。

 毎日、休む時間もなく業務が続く。毎日3時間程度の英語の授業を行い、1時間はアシスタントとして、他のベテランの先生の授業に入る。この学校はどの学級も荒れているので、私の授業を生徒は聞こうとしない。それに対して、他の先生たちから私へ指導が入る。「もっと規律のしっかりした授業をしてください」このような他の先生からの叱責を毎日受ける。この学校で大事なのは「なめられないか、どうか」だった。生徒からなめられなかったら、その教師は「良い先生」になる。私はそれが「良い先生」の定義として正しいのか疑問には思っていた。しかし、私は結果を残せないでいた。

 この学校式の「良い先生」の観点からすると、私は「ダメな教師」だった。私は生徒を叱ることができない。生徒が怖かった。生徒から呼び捨てにされる度に、自分の中にある砦を壊されていくような感じがした。

 特に自分が副担任をしている学級の生徒からはなめられた。授業を始めると、四十人いる生徒が全員私語を始める。もはや「私語」と呼べるかどうかもわからない。私は怒鳴りつけることができないので、「静かにしてください」と少し大きな声で忠告するだけだ。もちろん誰もそんな弱弱しい私の声を聴こうとはしない。私の自尊心は傷つけられる毎日だった。

  五月、授業でなんとか成果を出したいので、英語の授業で音楽を聞かせることにした。副担任をしている学級で洋楽を流し、その歌詞を読み取る授業をした。生徒は全員ではないが、私語をやめ、少し興味が見せているように見えた。私は(やった)と思った。これをきっかけにして、自分なりの授業、もっと言えば、自分なりの教師生活を満喫しようと思った。

 その放課後、山田教頭に応接室に呼ばれた。私の授業で流した音楽がうるさいというクレームだった。教頭は長い時間にかかって「ホウレンソウ」の大切さを説いてきた。「授業で音楽を流すのは勝手だが、それは他の先生も生徒も全員が納得しなきゃいけない。そんなこともあなたは分からないのか? あなたは大学で何を学んできたんだ?」私は涙を少し流しながら、応接室を出た。せっかく自分の生きる道を見つけたと思っていたのだ。それすら崩されてしまった。もう私にはなんの道も残されていない。私は極限まで追い詰められていた。

 職員室に戻ると、そこで他の教師が私のことを噂してるのを聞いてしまった。(あの先生、本当にダメだよね……)(あれは一年もたないな……)私はそれに反論する術を持っていなかった。(私はだめなんだ……私には教師の素質がないんだ……)そう思うと、みじめになってきて、職員室の自分の机でまた、泣き始めてしまった。他の教師の笑い声が聞こえた。

 私は泣きながら、生徒の日誌を見ていた。この学校では、副担任が担当する学級の生徒の日誌を点検することになっている。コメントと言っても、1~2行くらいなのだが。放課後、日誌にコメントを書いて、次の朝に生徒に渡す。このような雑用は副担任の仕事なのだ。担任の合田先生は学級で独裁者のように振る舞い、学級を完全に自分の意のままにコントロールしていた。それについていけない私は、合田先生という独裁者にとっては、反体制の一部なのだ。合田先生からは毎日のように放課後、叱責を受ける。今日も合田先生が私の机にやってきた。「あんたみたいな仕事ができない教師とコンビを組んだのは、教師生活で初めてだ」と怒鳴りつけた。他の教師がいる前で怒鳴りつけなくてもいいのに……と思ってしまう。しかし、その原因を作っているのは私だ。私がもっとしっかりしていれば、誰も怒らなくて済む。私は私という人間が嫌いになっていた。何も価値のない存在だと思っていた。

 私の不毛な教師生活はなおも続いた。私の授業は誰も聞かないし、仕事はできない。それでいて放課後、合田先生からの忠告が続く。それでも一所懸命に仕事をしようと自分では踏ん張った。だが、誰もそれを認めてくれない。この学校には味方は誰もいなかった。私は自分がどうして生まれてきたのか不思議に思ってしまった。

 六月、その後の私の教師生活を大きく変える事件が起きた。私が副担任をしている学級での出来事だ。私の授業中、学級で一番力が強い男子生徒が少し興奮気味だった。私は心底それを恐れていた。(どうか何もしませんように……お願いだから)私はただ怯えるしかできなかった。

 その生徒が授業中であるにも関わらず、自分の席を離れた。それに対して、他の小柄な生徒が突っかかっていった。この小柄な生徒もやんちゃな子だった。「おい、席に座れよ」小柄な生徒が言った。強い男子生徒は「うるせーんだよ、チビ」と叫んでいた。私は「静かに……席に戻って」と小さな声で言った。この強い男子生徒の力の欲望を刺激したくなかったのだ。そして、私に力の矛先が向いてくるのを阻止しようとしていた。私は心底教師失格だと、その2人の生徒を見ながら思った。

 すると、その強い男子生徒がいきなり小柄な男子生徒に殴りかかった。小柄な生徒はうまくよけたが、2人は戦いを始めてしまった。私の恐れていたことの中で、最も最悪なことが起きたのだ。私は2人に駆け寄り、「やめて、やめて……」と言い続けた。私は2人の間に入っていったが、2人の興奮は頂点に達していた。幸い、隣の学級の男性教師が騒ぎを聞いて、この学級へと入ってきた。その男性教師によって、2人は止められた。

 授業終了後、私は応接室へと呼ばれた。向かい側には山田教頭と合田先生が座っている。「あんたがなめられてるから、こんなことが起きるんだ。今回の事件はあんたのせいだ」合田先生が大声で叫んだ。学校中響くのではないかという位の大声だった。「はっきり言います。あなたには教師の資格はない。ここが公立の学校じゃなかったら、すぐにでも辞めてもらうくらいだ」山田教頭が淡々と私を責めた。私は何もが終わったと思った。私はこれで踏ん切りがついたという安心感さえも感じていた、明日、校長先生に辞表を出そうと決めた。

 私が職員室に戻ると、群がっていた教師たちが急に自分の机に戻った。おそらく、私の噂話をしていたのだろう。クスクスと笑う声も聞こえてきた。しかし、もういいのだ。これ以上苦しむ必要はない。私は教育の世界で必要とされなかっただけなのだ。私はもう教師としては存在価値が何も残されていない。私は全てをあきらめた。

 最後の仕事が始まった。副担任をしている学級の生徒の日誌にコメントをつけるのだ。私は例の戦いを始めた強い男子生徒の日誌を見た。それにコメントを残した。「このままではあなたは社会に出ることは許されない。あなたは自分のしたことを後悔しなくてはいけない。私は明日教師を辞めて、自分のふがいなさの責任を取ります。あなたも自分の責任の取り方を考えて。今までありがとう……」このように1~2行を超えたコメントを残した。その日は、私はそそくさと学校を後にした。これ以上、職員室に自分を佇ませるのが苦痛でならなかった。

 次の日がやってきた。私は胸ポケットに辞表を入れていた。校長室へ行き、辞表を取り出した。横田校長は何も言わなかった。おそらく、仕方ないことだと思ったのだ。これでいいのだ。私の希望の教師生活は、希望という理想を追求し続けた結果、滅びという形で終わった。

 しばらく、校長室で待機だった。すると、突然合田先生が入ってきた。合田先生から最後の叱責が来るのだろうと思っていた。しかし、それもこれでラストなので、何も気にしないと覚悟はできていた。

 合田先生は何か悲しそうな表情を浮かべている。しばらく沈黙が続いたが、合田先生がその沈黙を破った。「例の喧嘩をした生徒……彼があんたのことを『良い先生だ』と……」私は何が何だかわからなかった。「あんたの日誌のコメントに感動したらしい。それであんたを辞めさせるなと……あんたが辞めるのを止めるのが、自分の責任の取り方だと言っている……今までも騒いで悪かったと……」私は予想外の展開に何も言えなかった。いや、自分の頭の中には言葉が何千もうごめいていたのだが、それを整理して外に出すことが出来なかった。しばらくして、横田校長が戻ってきた。横田校長が言った。「もう少しがんばってみないか? 加藤先生は一所懸命だ。それが生徒に伝わることもある」私は涙を流し始めた。

 私は休み時間に、自分が副担任をする学級へと足を運んだ。例の戦いを行った2人の生徒が仲よさそうに喋っていた。私に気づくと、2人とも照れ臭そうに笑っていた。そして、会釈をしてきた。私も笑顔で会釈を返した。

 七月、一学期が終わろうとしている。私は結局教師を辞めなかった。私には生徒という味方が出来た。私を認めてくれる味方が出来た。私を必要としてくれる味方が出来た。終業式が終わって、私は誰もいない学級へと足を運んだ。私はこれからも副担任として生き続ける。